皇居の近くで

東京での会議に出かけている。珍しく現在進行形なのだ。月曜日の会議、せっかくなので前日に東京に行って無理矢理泊まっている訳なのだな。約30年前、東京で3年間だけ仕事をしていた頃には東京近辺をぶらぶら遊びに行ったのだが、当時は興味の無かったジャンル、というのがある。皇居周辺である。今回は皇居東御苑拝観も考えたが国家権力に触れるのも何かなあ、という気分だったので何となくホテル近くの千鳥ヶ淵墓園に入ってみた。日曜日の昼下がり、人はワシを含めて5人以内。墓が見える頃には何故か涙がこみ上げてきた。骨も拾われなかった戦没者達の墓、いや、骨が拾われただけでもまだマシかも知れないが。とりあえず深く合掌してから辺りを見ると献花1個百円、と菊一輪に群が置いてあったのに気がついた。せっかくなので百円を箱に入れて菊を献じて改めて合掌。軍人だけで230万人もの人が亡くなった先の戦争、やっぱし戦争の犠牲者は庶民なんだなあ。政治家や軍の指導者の一部は戦犯となって犠牲=罪の償いになったけどね、数百人もいないでしょ。「国を守るため」に死んだ人達。結果的に国を守ったのかどうかは微妙なところだけど、犬死にであったとは思いたくない。最近は「集団的自衛権」というまやかしの言葉、たとえ間接的に自国を守るための戦争に参加するのであれ、戦争を放棄するという憲法に反しているんじゃない?と疑われても仕方ないよなあ。何で歴代の政治家は戦争したがるんだろう。政治家たちは戦争ゲームを楽しみたい、と思っているとしか思えない。で、死ぬのは必ず民衆。先の戦争で政治家の親族が死んだ例があるだろうか。まあ、日本に限らず古今東西よくある問題なんだけどねえ。何もかもまやかし。先の大戦でお国のために死ね、と洗脳された手口と同じだよ。そもそも守るべき大層な国なんかね、今の日本って。何か考えたことを一気に書いたのでまとまっていないけど、そんな感じの皇居付近だった。